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  • Ryotaro Fujita

太陽と月


僕がよく描くモチーフの中に、「太陽」と「月」があります。


表と裏、陽と陰。

こうした対比に使われることの多い両者、


この二者に対する考えを書いてみます。


僕はよく、絵の中に●を描き込みます。


●というのは、自分の中にあるモチーフの一つです。


背景が明るい色であれば、蒼天を照らす太陽となり、

黒い背景に描けば、夜天に浮かぶ月となります。



絵の中で、幾何学的な構図のバランスとして、どこかに●が欲しい。

でも、これが月か太陽かでは、意味が大きく異なるのです。



●太陽は顕在するパワー


太陽は純粋な力を表します。

顕在するパワーであり、全なる無限性の象徴です。


太陽は「表に出る至高善」として表現されることが多いもの。

ぼくも、太陽には、「突き抜けるような」「光の極地に向かうような」力を感じます。


これは、人間に当てはめれば、その人独自の才能です。


それは輝きを放っており、眩しいもの。


太陽は見つめることができません。

近くを飛べば、翼を溶かされてしまいます。


しかし、間違いなく、太陽は生命の源なのです。

太陽が放つ光がなければ、命は育ちません。


太陽系においては、太陽は熱を放つ星であると同時に、


重力的な中心でもあります。


太陽がなければ、惑星がまとまり、星系が生まれることはありません。

そしてその熱は、宇宙の絶対零度を温め、命が生まれる土壌を作ってくれます。


太陽は生命のための舞台を整えます。


しかし、命を生むのは、月の光だと思います。



●月は潜在する夢幻性


月は、潜在的な力であり、見えない深淵へ向かう力です。


月もまた、ぼくがよく描くモチーフの一つです。

また、よく撮る対象でもあります。


月は、古来から人を魅了してやみませんでした。


「神」として信仰される太陽とは別に、月は人間の裏側として、

神の裏側として、人々を惹きつけてきました。


太陽を直接見つめることはできません。

しかし、月は長時間見つめていることができます。


見つめることのできない至高のパワーに対して、

月は見つめることができる、そして見つめなければならない潜在的な力でした。


人々は夜空に浮かぶ月を見つめ、月光を放つ白円の中に、

自分自身の半身を見出したのです。


月を見つめることは内省であり、深く自分自身の内側へ向かう入り口でした。


月は、惑星地球にとっても、恵みの存在です。

月がなければ潮汐力が生まれず、地上の海は動きのない水鏡に成り果てます。



生命とは動きです。


静の海は死の海、そこに命は生まれません。



落日の赤い陽光に照らされた、波の立たない海は美しいかもしれません。

しかし、そこからダイナミックな生命の躍動が生まれることはないでしょう。


月は、深淵へ向かう力ですが、それは命を生む力でもあるのです。





太陽と月というモチーフは、両者ともに人間の内側にあるものです。


宇宙をはるか遠くまで旅すれば、

両者が揃わずして、生命が生まれる星があるかもしれません。



でも、僕たちはそれを知りません。


地球においては、天地開闢の時からずっと、

両者はセットであり、双子でした。


僕たちの内側の奥底には、この双子のモチーフがいるのです。


人間は、2つの天体が織りなす生命のリズムの中を生きてきました。


それは、潜在意識に染みついたものであり、

星のリズムそのものなのです。





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