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  • Ryotaro Fujita

写真画家としての軌跡① 写真家に画をつけて

最終更新: 2018年6月23日




今、自分自身に「写真画家」という肩書きをつけている。


写真画家の前は写真家だった。

写真家になった理由は単純だ。



2016年秋の関西一人旅をきっかけに、旅の時に少しずつ写真を撮るようになっていた。

(写真を撮るために旅に出たことは一度もない)



その撮りためた写真を加工し、インスタグラムでぽちぽちと投稿していたのだが、


我ながら構図や色彩感覚がいいなと思ってしまったからだ。


だいたい最初のステップは「自分はいけるんじゃないか」という

根拠のない思い込みから始まる。



なぜ、「写真家」に「画」をつけたのか。


これは、自分が表現したいことが、「油絵のような抽象的な質感」にあることに気づいたか

らだ。


今までぼくは、自分の写真をコントラストをつけて、光を強く描き出していた。


しかし、シャープな線に仕上げていたため、

自分自身でも食傷気味になっていた。


ある時ふと、普段は絶対やらない「ぼやかす」加工をかけてみた。


そうすると、写真が絵画のような印象になり、

柔らかさの中に綺麗な光があるように感じた。


ぼくが求めていたのは、この「油絵のような」柔らかなタッチだったのだ。



しかし、一方で、シャッターを押すだけでいい画が作れてしまう写真は魅力的だ。


レタッチも、油絵を描くのと違い、時間もかからない。

筆を洗う水も用意する必要がないし、とにかく気楽なのだ。


それに、写真には「自分の目の前に現れた光景」しか撮れないという特徴がある。


これは、「自分では画をコントロールできない」ということだ。

どれだけ、いい光景に出会えるかは、自分の努力の範囲を超えていると思う。



ときたま、PCで撮った画像を確認していると

「すごいいいショットだ」と思うことがある。



デジタル一眼でも確認はできるが、画面が小さいため、

わずかなピントのブレなどは分からない。


PCの大きな画面で見ると、

その場所や被写体、ピント、構図などあらゆる要素が折り重なって、

素晴らしい画が完成しているのを発見できる。


そんな瞬間は自分自身にとって驚きで、

それは自分が撮ったのではなくて、だれかに贈られたものに感じるのだ。


「手軽さ」と「時折くる驚き」

この2つの理由から、ぼくは写真をやめることができない。


だから、写真と絵画を融合させることにしたのだ。



「絵画のように描く」といっても、

Photoshopを使って、そこにないものを貼り付けることはしない。


使っているのはLightroomというPhotoshopを写真家用に無駄な機能を削ぎ落としたアプリだ。


そこにないものを付け加えていくのは、

写真の面白みが消えてしまうような気がした。


それなら、絵の方がいい。


写真は光の芸術だ。


その場所にある光を写している。

ぼくは、写真の色調や光を調整するだけで、表現をしていきたい。



写真画家としての軌跡② ミクロネシアの島から

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