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  • Ryotaro Fujita

写真画家としての軌跡② ミクロネシアの島から

最終更新: 2018年6月23日

ぼくの価値観が大きく変わったミクロネシア、ヤップ島での体験。

この記事では、この体験が今のぼくに与えた影響を書こうと思う。



ぼくがヤップ島での経験を通して伝えたいのは、

自分の正義を疑うことの重要さだ。


ぼくたちは資本主義の国、日本で生きている。


日本には素晴らしい人がたくさんいて、楽しい娯楽や便利なサービスにあふれている。

とはいえ、それは誰にでも通用する正義じゃない。


「ヤシの木で家を建てていて、壁がない家もある。あと石の貨幣を使っている。」

これだけ聞くと、どんな僻地、秘境なんだろう?と想像する人が多い。


ぼくが行った場所だというと、「そんな大変な場所に!?」という反応をされる。

「アメリカで犯罪を犯すのは、そうした場所からアメリカ本土に渡って貧乏暮らしをする人たちだろう」という反応も聞いた。


清潔で、超便利な社会に生きるぼくたちは、だだっ広い太平洋の真ん中に浮かぶヤップ島のような島は、異質で、自分たちより文化的に劣っていると思っている。


ぼくも行く前はそうだった。



「第3世界の国々」には、新しい教育や農業制度が必要だと考えていた。

でも行ってみてそんな狭い社会で培われた常識は通用しないことを知った。




●幸福の価値


幸福の価値は、何だろう?

ぼくにとって、幸福とは豊かさだ。


ぼくは、ミクロネシアのヤップ島に行ったことある。

そこで2週間、現地の人と同じ暮らしをして過ごした。


学生11人で行った大学時代のプログラムだ。


テーマは「豊かさとは何か」


デジタル製品は使用禁止

なるべく現地の生活をしようという趣旨だ。



●空港へ


100人ほどしか乗らない小型の旅客機。

見慣れない浅黒い肌をした人たちが乗り合わせる。


2013年にカナダに行ったことがあるけど、

海外に出るのはそれ以来、不安と期待が入り混じった高揚感が胸を満たしていた。


グアムで飛行機を乗り継ぎ、

エミレーツ航空の便で、ヤップ島に到着したのは深夜2時。

夜の便から見た雲海は美しかった。



空港は木製で、1階建ての平家だ。

日本が誇る最新設備の成田空港から出てきた身としては驚くしかない。


そこでは多くの人たちが、ごった返していた。


アメリカから戻ってきた家族の帰りを待つ者。


輸入品を受け取る者。


ぼくたちのように外国からこの異国へ乗り込む旅人。


疲れて荷物を探すぼくたちの横を、

人が入りそうなくらい大きな黒いケースが横切って行く。

何かの輸入品かもしれない。


浅黒い肌で体の大きなヤップ人に混じって

50代くらいの日本人夫婦と思わしき顔が見える。


自分がいる場所が夢のように感じる。

空港が狭いのもあるが、疲労と人の多さでめまいがした。



●中心街コロニア


ヤップ島は完全な車社会。

皆車で島を移動する。


島の広さは、父島に近い。

車を使えば2時間ほどで一周できてしまう。


人口は8000人ほど、

珊瑚礁の上にある珊瑚島だ。


空港があるのは、島の中心街コロニア。


ヤップ島は、家をヤシの木で作ってしまうような場所だ。

日本にある鉄筋コンクリートの建物なんてほとんどない。

今まで行ったことがあるのは日本とカナダ。

自分の経験にはない、全く異質な場所だった。



コロニアには近代化の波が押し寄せる。

ここは鉄筋コンクリートがある島で唯一の場所だ。


時には、近代的なホテルのようなものもある。

ヤップ島は美しい海という資産を持っている。

様々な国が、観光地としてのヤップ島を欲しているのだ。


その交渉のために、外国の政治家たちも訪れる。

だから、コロニアにいるのはヤップ人か

ランニングウェアとイヤホンをつけたいかにも上流階級風の白人だ。


アメリカや他の国からの輸入品はだいたいコロニアの商店に並ぶ。

米や、日本の醤油、わさびもある。


鎖国しているわけじゃない。

ローテクな島だけど、しっかり世界と繋がっていた。

(若い人はスマートフォンを持っていた)



●村へ


コロニアから車で20分ほど。


滞在させてもらう村へ向かう。


ヤップ島は珊瑚島だ。

珊瑚礁で地盤ができていて、硬い岩盤というのはない。


だから、岸から200mほどは、珊瑚礁が続き、水深も深くて2mほど浅い。

村はその珊瑚島の内湾にあった。


ただでさえ珊瑚島は、外洋からの大波を珊瑚が砕く。

島の中にある内湾は、とても静かに凪いでいる。

夜には、夜光虫が緑色のきらめきを放つのだ。



「世帯収入」なんて概念もなさそうな村。


意外と高低差があって、坂を上り下りして移動する。


昔ドイツ軍が作った幹線道路がぐるりと島を一周していて、

その道路を挟むように村が張り付いている。


交通の便はいいらしい。



●小学校


村には子どもたちのための学校がある。

小学生くらいの歳の子どもたちが通う学校。


学校は平屋でコンクリート造り、小高い丘の上にある。


ぼくたちはそこに泊まらせてもらった。


泊まるといっても、ベッドがあるわけじゃない。

教室を一部屋借り、机をどけ、硬いコンクリートの上にゴザを敷く。


そこに蚊帳をかけて完成だ。

(ヤップ島は虫が多いため、夜は蚊帳の中で寝た)


Ph.D(博士号)をとっていないと先生になれないらしい。

そんな素晴らしい先生たちの年収も1万ドルほど。


日本の新卒の年収の3分の1だ。

これだけ素晴らしい教育を受けた人々なのにだ。



●教育事情は複雑


ヤップの教育事情は複雑だ。


島には高校まであっても大学がない。


教育はアメリカから支援されている。

とはいっても条件付きの支援だ。


それは、「卒業後、アメリカ軍に入れば、大学の費用を免除する」というもの


ヤップには大学がない。

この「大学」というのはハワイなどのアメリカの大学だ。


アメリカは、ヤップ人を自分色に染めながら、同時に戦争をする駒を手にすることになる。


ヤップの若者はこの権利を使って大学へ行き、米軍に入る。

そして、サウジアラビアなどの戦地へ送られる。


アメリカは、ヤップから若者の活力を奪っているように思えた。


プログラムの中2日には、村の家庭に学生が一人ずつ迎えられてホームステイをする。


ぼくが行った家族は、まさかのお金持ちだった。


他の家は皆、木で建てられていて

トイレやシャワーは家の外だったりする。


電気が通っていない家もある。


でも、ぼくのホームステイ先はカナダだった。


ぼくがカナダでホームステイした大きな家にそっくりだったのだ。

部屋にはベッドと、バスルームがついている。


家の外に広がる植生の南国情緒と、夜に見える満天の星だけが、

そこがミクロネシアの中の小さな島であることを物語っていた。


迎えてくれたのは50代の仲睦まじい夫婦。

彼らの笑顔を見て、緊張が一気にほどけた。


広い家だけど、住んでいたのは2人だけ。

3人の子どもたちは、米軍にいき、今はサウジアラビアにいるらしい。


お父さんは漁師だ。

しかし、若い頃はエミレーツ航空で働いていたようだ。

その時のお金で、家を建てたらしい。


半生をアメリカのために働いて

美しい家はあるけれど、子どもたちは戦地へ行ってしまった。

そう語るお父さんの目には哀しみがひそんでいた。



●お金と暮らし


無職で、奥さんに養ってもらっている男たちもいた。

(魚をとりに漁には出るけど)


それでも、誰も彼らを責めはしない。

伝統的なその島の暮らしでは十分にやっていける。


食べて、生きることを楽しむ上では、お金はいらないように感じた。

年中熱帯気候のその島では、バナナや主食のタロイモがたくさん採れる。


タロイモは共同の畑があり、そこからみんな自分たちが食べる分をもっていく。

それをみんな刃渡り30センチはある「ヤップナイフ」と呼ばれるナイフを持っている。


ヤシの実がそこら中にあって、硬いココナッツが上から落ちてくる。

それをみんなは、ヤップナイフで叩き割るのだ。


とは言っても、力任せに叩き割るわけじゃない。


まずは実を守る硬い繊維質の外殻を剥ぎ取る。


先端を尖らせた硬い木の棒を地面につきたて

そこにラグビーボールのようなココナッツの実を突き刺すのだ。


そして、全身の体重をうまくココナッツに乗せ、

殻をテコの原理で剥いでいく。


ココナッツ・ハスキングと呼ばれる妙技だ。


硬い殻を取り去ると、中に2回り小さなタネが現れる。

これの中に、ココナッツの白い実が入っている。


このタネは非常に硬い。


外殻は繊維質で、「剥ぐ」ことができる。

でもタネの殻はツルツルとして、木では突き刺せない。


ここでヤップナイフを使っていく。

ナイフの背を使って、外周にヒビを入れ、

最後にナイフの先端を入れて2つに開けるのだ。


こうして、ココナッツの実を食べることができる。



島の外に目を向ければ海の幸は豊富にあった。


でも、輸入肉や外国の魚を買うためには

島の中心都市コロニアに出て、買い物をしなければならないい。


コロニアでは、魚や肉、米や醤油といった、輸入品が売られている


しかし、価格は日本のスーパーの相場と変わらない。

むしろ、日本の製品などは、日本で買うよりも高いくらいだ。


●ヤップの夜


印象に残っているのは夜の闇だ。


ヤップ島には街灯が少ない。

そもそも電気が通っていない村もあるのだ。


日本の山奥の夜に見られる。

真っ暗闇が体験できる。


その暗さは驚くほどだ。


空にかから天の川の真ん中にある黒い筋。

天の川銀河の中には星が無い星域がある。


そこが黒い筋となって見えるのだが、

それが見えるということは、近くに明りを放つ人間の居住地がないことを示していた。



夜の森を見ていると、目が次第に慣れてくる。

真っ暗な闇の中から、次第にヤシの木や植物の輪郭が姿をあらわす。


見えないものが見えてしまうそうな怖さはなく

不思議なあたたかさに満ちていた。



●帰国


2016年9月、ヤップ島から帰ってきて感じたのは

「帰ってきてしまった」という焦燥感に似た感覚だった。


この段階で、就職先が決まっており、

2017年4月から働くことになっていた。


みんなはお祝いしてくれたけど

ぼくはすごく嫌だった。


人生を通して、誰かに指示されるのが大嫌いな人間だった。


企業で働くということは「勤務中は~はしちゃいけない」というような制約がある。


ちょっと集中が切れたから散歩に行くとか、

昼寝をするとか、こうしたことができない環境は嫌だった。


帰ってきてからは、体がだるく感じた。


当時、行なっていた活動は全てやめ

家に閉じこもりがちになった。


何かが空っぽになってしまって

活動することができなくなってしまったのだ。


これは、強制終了に似ていた。


自分が本当はやりたくないことをしていたから

それをやめさせるために身も心も気力がなくなってしまった。

そう感じた。


この時はまだ、自分がアーティストだ、写真家だとは全く思っていなかった。


写真すらほとんど撮っていなかった。



撮りはじめたのは、2016年10月。



関西で行われた就職先の内定式にかぶせて

敢行した関西10日間の一人旅の中だった。


家にあったミラーレス一眼を持って、

京都、大阪、高野山、天川村、伊勢と歩を進めた。


この時は、

「せっかくの旅だし、撮っておこう」

という気持ちだった。



撮るための旅でもなく、ただ気になる光景を前にシャッターを押していただけだった。


旅の中で撮ったのは400枚ほど。

初めて触るミラーレスカメラを前に少しシャッターを押しすぎた感じもあった。



●普通でいたくなかった


ヤップ島には、資本主義の流れが押し寄せてきている。

彼らはそれに抵抗する気はない。


伝統的な暮らしと美しい自然を守りつつ、

取り込めるところは上手に取り込んでいこうと思っている。

ぼくは、その柔軟さ、気楽さがうらやましかった。


ヤップに行って、

今まで日本人として生きてきて、完全に資本主義に洗脳されていたと感じた。


資本主義では「持っている者」が成功者とみなされ、

それが一種の正義になる風潮がある。



それまで、ぼくにとって、成功が一番だった。


「普通でいてはいけない」


「成功しなければ」


「常に価値のあることをしなければ」



こう思っていた。


ヤップに行って瞬時に気づいたわけじゃない。

むしろ帰ってきた直後は気づかなかったことだ。


それはぼくの心に根を張って、

芽を出す時を待っていたようだ。


ぼくは、ヤップから帰って、2年間、自分の価値観と向き合わなければいけなかった。


今までぼくが日本で培ってきた価値観は、せわしなすぎた。


自分自身を見失って、時勢の濁流に飲まれていた。

それも、自分のありのままを表現する怖さからだ。


尊敬されることをしなければ、人からの尊敬を勝ち得ないと思っていた。


尊敬や愛情、好意は、努力して勝ち取るものだと思っていた。



誰かの価値観で生きていくのはやめて、素直に自分を表現して生きることにした。



ヤップでは、「自分を認めてもらうために何かをしよう」

という人はいなかった。


皆、素直な自分自身を表現していた。



写真画家というのはこうした体験と思考の変遷から生まれた。


これがゴールだとも思わない。

でも、今までよりはるかに自由でいる自分がいる。




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